「完全に一つとなる為に」   07.08.26
                    須賀工神学生
                   ヨハネ福音書17:20〜26  
 主イエス・キリストは、救いを、十字架の苦難と復活を通して、
受難の苦しみと復活の喜びの内に「成し遂げられた」。
 ここに、キリスト者の信仰の中心があります。
 主イエス・キリストは、「求めていた救い」を十字架の苦しみと
復活の出来事を通して、成し遂げられたのです。そして、
主イエスが切に求めていた事、主イエスが十字架へと架から
なくてはならないほどに、求めていた事は何であったかを、
この聖書の御言葉は示していくのです。

 主イエスは、受難を受けるその直前まで、神に祈りを捧げて
います。そして、主が最後に求めた事に注目したいのです。
 主が祈り求めた事、そして十字架の御業を通して成し遂げ
られた事。それは、主イエスが神と一つであるように、人間が
栄光を受け、一つに結ばれる事なのです。更に、その恵みと
祝福と救いの内に全ての人間が、完全に一つになる為に、
主イエスは祈られるのです。

 人間の現実を深く見つめると、その罪深さや弱さ、汚れある
姿をつき付けられます。その人間の姿は、正に、神との関係
から全く離れ、闇の世界に生きる私達の姿としてつき付け
られます。又、救いを見出しても、私達がいかに、一つに
なる事の出来ない弱い存在であるかを思い知らされています。
 そのような時、人間は主が求めていた事、そして、成し遂げ
られた事を思い起こす者とされているのです。
主は、私達の罪の為に十字架に架かり、復活しました。
 それは、神から離れた人間が神と一つに結ばれる為にです。
 そして、その大いなる栄光と恵みを受けた人々が、その栄光の
光の内に完全となる為に、主は十字架へと向かい、その救いを
成し遂げられたのです。
 私達人間は、この事を深く覚え、心を合わせ、声を合わせて、
 唯一の神を賛美し、心を神に一心に向けて、共に祈り合い、
 慰め合う一つの神の家族として歩む者でありたいのです。